11月27日のゼミ

仕事の遅さに定評のある9期森田です。
またしても1週間遅れのゼミ日誌です。

今週からまた輪読でございます。
題材はG.リッツァの『マクドナルド化した社会』。
リッツァの前著『マクドナルド化する社会』の増改訂版です。

♪マック、マックマック、マクドナールドー
というCM曲がポニョ並にはやっていた水戸での幼少時が懐かしい限りです。

あ、本の中身はポニョがフィレオフィッシュのフライになるとかいう話ではありません。

1コマ目は三田論や今後のゼミについて話した後輪読の第1章へ。
第1章「マクドナルド化の手ほどき」

マクドナルド化の定義と、本の概略について。
マクドナルド化とは、「マクドナルドを代表とするファストフード・レストランの諸原理が、アメリカ社会のみならず世界中の国々の多くの部門でますます優勢になっていく過程である。」と述べられています。

効率性・計算可能性・予測可能性・制御の4つの次元に分かれた「諸原理」が、メリット・デメリットを孕みつつ、ますます世界を飲み込んでいくというお話です。

問題提起は2つ。
「理性のある社会ってどんな社会?」←著者の、マクドナルド化による非合理性から我々の理性が否定されるという意見に対して

「量と質は等しいか?」←著者の量=質の意見に対して

かなり広範囲に意見が色々と。上であれば人間は本当に主体的であるのか?であるとか、下であれば、質の数値化についてなどですね。

質の数値化・客観化の話はかなり盛り上がったように記憶しています。
顧客の了解しやすい数値で、最も明確なものは時間なんですね。
僕の教える塾の生徒も、授業を早く終えたときの効用が最大だという趣旨のコメントをいつもくれます。

2コマ目。第2章「マクドナルド化とその先駆者たち」

これまでマクドナルド化が継続的に進んできた=その先駆けとなる合理的システムが存在してきたというお話です。

官僚制であるとか、ホロコーストであるとか(これドイツで語ったら懲役喰らうんじゃないかという)、大規模工場で取られた科学的管理法や組み立て作業ラインなどなど。

社会が合理化に向けて制度化され、その為の規則・規程そのものが、目的実現のための最適手段を選択するというお話です。ウェーバーの合理化理論なんかも取り上げられてますね。

社会の合理化は主に職場や生産に取り入れられ、これを消費とその過程に取り入れたのがファストフードの特色に繋がったと筆者は述べてます。

問題提起は
「大学は『鉄の檻』?」
「平野ゼミは『鉄の檻』から逃げられている?」
の2つ。「鉄の檻」とは、官僚制の合理から生まれる非合理性の説明に用いられた言葉で、官僚制の脱人間性・1コマ目で述べた4つの次元の逆転が起こった状態をいいます。この鉄の檻に囲われた合理的システムから、別の合理的システムへと移動する社会へと変わるのが「合理化」であると。

つまり大学に入っている我々は、合理的システムの歯車じゃあないかと。我らが佐藤大二郎君は考えてくれたわけです。(慶應義塾内で君付けは敬称です。)

今の学生で「全共闘」って言葉知ってる人どれだけいるんですかね。「革マル」の正式名称とか言える人もあんまいないんでは。合理的システムに反抗していった人々も今は昔で、今はシステムにうまく乗れることを求める人が明らかに多数派なんでしょうか。教授からみて昨今の学生の出席率は驚異だそうです。

最近日が落ちるの早いですね。風邪には気をつけましょう。