7/2 ゼミ日誌

こんばんは。前回に引き続き16期の村井がゼミ活動の報告をしていきたいと思います。

今回はNSと輪読、そして「十分豊かで貧しい社会」のまとめの議論を行いました。

NS1
「ゆうちょ銀行の預金限度額増額に賛成か反対か」 (古川さん)

賛成:
・利用者の利便性向上(離島や山間部では郵便局が唯一の金融機関)

反対:
・地域の民間金融機関の圧迫
・地方創生の推進力が毀損する懸念

 ゼミ員の中では、限度額を上げることで利便性が高まるなら公共性につながるのではないかという賛成側の意見や、郵便局の優位性が高まればそれは地方創生の流れに逆行しているのではないかという反対側の意見が出ました。

 やはり預金限度額増額の際に問題になるのは銀行側からの「民業圧迫ではないか」という批判ですが、地域の金融サービスから銀行が撤退している中で、利用者の利便性を何よりも考慮しないのには違和感を覚えます。上限があることで顧客が不便を感じているという現状を聞くとなおさらそう思います。



NS2
「私立小が児童の転入を制限することは許されるのか」(行本さん)

賛成:
一部の進学校に優秀な生徒が偏るのを防ぐ(経営の安定化)

反対:
どこで学ぶかは児童の自由であり、児童の学習する権利を無視している

ゼミ員の意見はほとんど反対側で、小学校の淘汰や不公平な競争につながるのではないかという懸念が多かったです。やはり教育もサービスの一環であり、その取引市場において競争を制限するという場合には何よりもまず法律の問題が立ちはだかるのでしょう。




【輪読】
R&E スキデルスキー 「十分豊かで貧しい社会」 第七章
小竹・近藤・鳥飼さん

問い:欲望の無限の追求によってもたらされる”終わりなき競争”から脱却するために、私たちはどのような方策をとるべきか

答え:
ワークシェアリング促進
ベーシックインカム制度の導入
③消費や広告費に対する課税制度の導入


問題提起:広告を抑制するべきか

 この問題提起については、世の中にあふれている広告によって多くの情報が消費者に与えらえれ、逆に消費者にとっても何の商品なのか混乱してしまうので広告は規制すべきという意見や、広告それ自体の宣伝効果はあまり期待するべきものでもないためわざわざ規制するものでもないという意見などが出ました。
 
 身近な例で考えてみると、電子機器購入するときなどあまり自分でリサーチせずに店員やCMで見かけたものに興味を引かれてしまうことも多いのではないでしょうか。そのように我々が自分のニーズを満たすものを探す時にその判断基準を広告に奪われ、選択肢を狭めてしまうといったものが広告による弊害ということができるのでは、というのが僕個人の意見です。また、そもそも広告に宣伝効果を見込めるのかといったところも議論の種になりそうですね。



【まとめの議論】「十分豊かで貧しい社会」

このコマでは、まず本書の章ごとの要旨・全体の構成について先生から解説をいただきました。
全体を振り返った後は以下のテーマで討論を行いました。


「人々はこれ以上働くべきではないか」

 過労死が問題となっている現状においては人々が働きすぎるのをなんらかの方法で抑制するべきだという意見や、もし労働時間を減らすのであればそれに見合う分、量をへらすべきだという様々な意見が出ました。
 本書の記述に則ると、貪欲を原因とする消費・労働はやはり道徳的・倫理的に認められるものではないが、純粋な生きがいとしての労働は評価されなくても干渉されるべきものではないのではないかというのが率直な意見です。
 
 また、そこから派生して「欲望自体みとめられるべきものなのか」という議論になりました。欲望とは人間の本来的なものであり、ある意味それが経済発展を促してきた面もあるため、完全に消し去ることはあまり現実的ではないという意見がありました。個人的には、欲望によって格差が生まれ、それが社会分裂につながっているという格差社会批判が一番共感できるものでした。やはり何事も程度なのでしょうか...。


 本書から発展して、ディベートのテーマはベーシックインカムワークシェアリングの導入の是非になりました。ゼミ後さっそく各班作戦会議を行っていましたね。


 さて、今回初めてゼミの司会を務めたわけですが、終えてみて反省すべきことが数多くありました。議論が停滞した時にいかにしてみんなから意見を引き出すのか、次のテーマや問いへどのように発展させていくのか、そうしたところが自分には欠けていましたね...
自分の準備不足に起因するところも大きいのかなと猛省しております...
今回の反省を生かして以降のセミ活動へのモチベーションへつなげていきたいと思います・

 次回からは「商店街はなぜ滅びたのか」の輪読です。
お楽しみに!!