1月20日 ゼミ日誌 今年度ラスト

こんばんは!14期兵平です!
テストに就活に体調不良にあくせくしながら、すっかりブログ担当であったことを失念しておりました。更新遅くなり申し訳ありません。

寒い日々が続きますが、皆さん体調は大丈夫ですか? 
私はちょうど試験期間中にインフルエンザにかかってしまい、あろうことか平野先生のテストを受験できませんでした。
いや〜参りました。追試を受験することになったので、兵平はまだ絶賛試験期間中です。
皆さん、ノロウイルスやインフルエンザ等流行ってますので、帰ってからのうがい手洗いはもちろん、暖かい格好をして体調を崩さぬようお過ごしください!

さて、今から遡ること2週間以上も前になってしまいますが、1月20日は今年度最後のゼミでした。
内容は、いよいよ提出を目前とした4年生の卒論の最終発表です。

【卒論報告】

◆明男さん

〈タイトル〉

海運業からみる「日本的経営」の形成 〜三種の神器を中心とした「日本的経営」に関する再考察〜

〈問い〉
日本の海運業において、「日本的経営」が形成されたのはいつか。また、どういった経緯(背景)で形成されたか。

〈仮説(結論)〉
海運業において日本的経営は、戦後から1960年初頭にかけて形成されている。すなわち戦後改革の流れを主要因として成立した。以下で各項目ごとに詳述する。
協調的労使関係について。1900年代より労組は活動を始めるが、一枚岩になれず、20年代まで経営主体で騒動は決着していた。30年代には大同団結した労組が要求を通すと共に、経営側も譲歩を行った。ここに協調の萌芽が見れるが、第二次大戦によってこの流れは断絶。
戦後から1950年代前半にかけて、終身雇用制や労使協議制が成立。 50年代半ば〜60年代には、上記の有利な条件を手にした労働者が、争議によって自分たちの所属する企業が不振に陥ることを危惧して、協調姿勢をとった。ここに協調的労使関係の成立が見て取れる。
長期的企業関係では戦後から1960年初頭にかけて、政府と企業の協調に関しては1900年以前より成立が見て取れる。
三項目の形成時期を鑑みると、日本的経営は戦後から1960年代初頭に成立したとみるのが妥当である。


◆小林さん

〈タイトル〉
ミネラルウォーター消費に関する考察 〜商品としての水に与えられた意味の変遷から〜

〈問い〉
日本におけるミネラルウォーターの消費はなぜ普及してきたか。また、ミネラルウォーターの消費される意味はどのように変遷してきたか。

〈仮説(結論)〉
・普及要因:環境汚染や災害といった社会不安の存在
意味:?割り水の時代(70s〜80s)「成功したビジネスマン」「ウイスキーへのこだわり」⇒?家庭用水の時代(80s〜90s)「豊かな生活を送れる家庭」「都会の中にある自然」⇒?清涼飲料水の時代(90s〜)「おしゃれ」「社会に貢献できる」
MWがそれぞれ時代における人々の志向や価値観を反映していたことも普及の要因となった。


◆平塚さん

〈タイトル〉
ラッセンの都市循環仮説は何故東京で成立しなかったのか ――駅ビルと人口動態の関連性――

〈問い〉
東京においてクラッセンの都市循環仮説が成立しなかった理由は何か。

〈仮説(結論)〉
東京では郊外に駅ビルが建設され、それに伴い再開発が行われた。これにより郊外の利便性が高まり、人口の流出が防がれた結果、都市循環仮説のステージ6以降に進まなかった。


◆花野さん

〈タイトル〉
受容される恋愛像の変遷   ―恋愛結婚イデオロギーの観点から―

〈問い〉
受容される恋愛像はどのように変遷したか。また、その背景は何か。

〈仮説(結論)〉
・1970〜1985年
 恋愛結婚イデオロギーに基づく、永続的で社会との関わりが強い恋愛
(一方で、その反発として社会との関わりのない自由な恋愛も)
背景:恋愛結婚イデオロギーの普及、高度経済成長
・1986〜1999年
 必ずしも結婚に結びつかない、自由な恋愛(恋愛結婚イデオロギーの衰退)
 社会との関わりが希薄化した恋愛
背景:バブル景気、近代家族の成熟、年齢の低年齢化
・2000年代
 (恋愛結婚)イデオロギーに基づく永続的な恋愛を希求する傾向の復活
 社会との関わりはさらになくなり、共依存的な恋愛
背景:バブル崩壊と長期不況、携帯電話の普及


◆松村さん

〈タイトル〉
プロレス団体の変遷と 日本社会

〈問い〉
プロレス団体はどのように変遷していき、どのような社会背景を反映させていったのか。

〈仮説(結論)〉
・プロレスのアングルは国家から個人に移行し、バブル経済期に入ると消滅していった。
・バブル期が終了すると派手なイベントは受け入れられなくなった。一方ローカル団体の出現などでますます小規模団体は増加しており、それらは緩やかな結びつきを持っている。
・日本のプロレスは一極集中から離散集合を経て、共同体やネットワークを求めるようになった。


以上です。
先輩方大変お疲れ様でした。

平野ゼミは他のゼミに比して、4年生になってからもゼミ活動にとても熱心です。
輪読やディベート、ニューススピーチ等、通常のゼミ活動と並行しながら自身の研究を進めていくことはとても大変だったのではないでしょうか。

先日、完成させた卒論の提出に向かう4年生の先輩方に偶然出くわす機会がありました。
自分は、「先輩たちみたく、2年間に及ぶゼミ活動をやりきって、卒論を完成させられるのかな」と来年の今頃の自分の姿が想像できません。
やり切るって本当に凄いなと思います。先輩ら凄えな〜


今年度最後のゼミ日誌ということで、今年度のゼミ日誌のエントリー数を数えでみました。
その数50以上。中には、合宿やエクスカーションなどの記事も含まれています。
平野ゼミで過ごした時間を計算するろ、少なくとも概算で、90分×2コマ×50=150時間。
その他、ディベートや輪読、杉村の家で夜を徹した三田論の準備の時間などを含めると、計500〜600時間程度は平野ゼミに注いできたのではないでしょうか。


この時間を長いと捉えるか、短いと捉えるかはそれぞれ意見があるでしょうが、私としては本当にあっという間でした。

来年度には、また新たなメンバーを迎えて4月からスタートします。
これまで13代、歴代の先輩方が築いてきた平野ゼミをますます、素晴らしいゼミに発展させられるよう、14期と4月から加わる15期一同頑張っていきたいと思います。

13期の先輩方、2年間お疲れ様でした。先輩方をいてくれたおかげで、平野ゼミで熱い時間を過ごすことができました。ありがとうございます。
14期の皆、来年度はゼミを引っ張っていく立場として、気合入れていこー!

兵平