7月7日 ゼミ日誌

こんにちは。16期の池浦です。
本当はもっと前に書くつもりでしたが、いつものごとくギリギリですみません。
内代表のおーみさんから催促のLINEも入ったことですし、早速7日のゼミについて書こうと思います。


7日のゼミは輪読と卒論の中間報告(一人)でした。
輪読がかなりボリューミーだったので、NSも問題提起も時間がなくてできませんでした。



輪読(担当:橋本、村井、加藤、永見、星野)
第7章「賃金政策と賃金決定機構」
問い:政府の賃金統制と、労働組合の賃金交渉は日本の賃金制度にどのように影響したか
答え:戦爺の賃金統制令において指標とされた平均賃金の概念は、戦後の「ベース・アップ」に影響を与えた。また、1975年春闘を通じて、賃金抑制と物価安定を軸にした、「日本型所得政策」が誕生した
第8章「社会生活のなかの賃金」
問い:社会の変化に伴い賃金と労働形態はどのように変化したか
答え:経済成長によって現物支給で低賃金の農業は少なくなった。また家内労働の減少やパート労働の増加に伴い女性の社会進出が進み、様々な法整備などが行われた。結果として生活の把握が困難になり、生活賃金の要求も難しくなった。


いや長かったですね。自分が司会でしたが先生がうまく時間配分してくださいました。
先生もおっしゃっていましたが、後半の方は読んでいてわかりにくい部分が多く、輪読を通してやっと理解できることが多かったです。



第二回卒論中間報告
「小学校給食教育の変遷ーコミュニケーションに主眼をおいて」(近藤)
問い:小学校における給食指導(食べ方、完食指導、食事のマナー指導)はいつ頃大きな変化を遂げたのか。
仮説:給食の食べ方に関しては1960年頃から会食形式が広がっていった。その最大の要因は給食教育が飢餓をしのぐという最低条件を満たせるようになり、「食事を楽しむ」という余裕が出てきたからである。完食指導は、アレルギーや体罰の問題等から少なくなっているものの現在も根強く残る。食事のマナー指導は1970年代に「三角食べ」に代表されるように広く行われるようになり、近年は栄養教諭が中核を担う。ただ、給食指導は全てにおいて現場の教師や栄養士、栄養教諭に裁量が与えられており、各学校間で内容や質は大きく異なる。

↑きっちり書いたつもりですが、誤植あったらすみません。
先生からは・事実の発見と描写を先行研究とは違った形でできるだけ一次資料で調べること
     ・なぜ・因果関係を明らかにすること
     ・アンケートは本当に聞きたいことだけにすること 
といったアドバイスをいただきました。


自分は小学校3年生と4年生の時は完食指導があったような気がしますが他の時はなかったです。自分の学校は先生によって違う感じでした。むしろ5,6年生の時は誰かが食べなかったおかずや飲み物を賭けてジャンケンしてました。牛乳を賭けてジャンケンしていたあの時が私のジャンケン運のピークでしたね。


さて、ユーロでポルトガルが優勝した話はここら辺にしておいてそろそろ日誌を締めたいと思います。
これから卒論中間報告ですが、それが終わってもその次ディベート....みんながんばりましょう!おわり。